三菱庭球同好会は、1911年(M44)、丸の内に新設されたコートで活動を開始した「三菱庭球部」をその源流とし、今年で創部115年を迎えました。
1914年(T3)に三菱倶楽部が創設され、三菱庭球部はその一部として統合されました。
翌1915年(T4)には染井の地(現・巣鴨スポーツセンター)に400mトラックとテニスコートが完成。以来、染井コートは、戦後HI盃復活の前年1951年(S26)まで、約40年間にわたり三菱テニスプレーヤーの「聖地」となりました。
一方で、三菱倶楽部が1940年(S15)に「三菱養和会」へ組織変更された際、染井コートはその管理下となり、1946年(S21)には「養和会テニスクラブ」が設立されました。大淵鉄太郎氏(地所)、野村義門氏(重工)ら当時の三菱の主力プレーヤーは会員として、同クラブの発展とともにHI盃の早期復活に心血を注がれました。
1970年(S45)の三菱創業百年事業の一環として、染井運動場の転活用が行われ、染井コートは閉鎖となり、1973年(S48)に養和会テニスクラブも幕を閉じました。
三菱のテニス史については、HI盃復活10周年、30周年、50周年の各記念誌『三菱庭球の歩み』に記されていますが、染井コートでの三菱養和会のテニス活動については、戦中、戦後の混乱もあり、いわば「空白の歴史」となっていました。
今般、養和会テニスクラブ第三代目の世話役であられた西村博氏(S28早大卒、三機工業OB、96歳)から、同氏が纏められた『養和会テニスクラブの歴史』をご提供いただき、貴重な情報を得ることができました。同著は、元三菱庭球同好会長の故・井手明彦氏のご要請によりまとめられたもので、時空を超えたご縁を感じた次第です。
本関係史は、三菱庭球同好会と三菱養和会とのテニスの繋がりを繙くことで、三菱庭球の歩みにおける「空白」を補完し、後進へ伝承することを目指したものです。
結びに、資料の提供から監修に至るまで多大なご協力を賜った西村博氏に、深甚なる敬意と感謝の意を表します。
2026年(R8)4月
三菱庭球同好会 審判長 牧村祐一(重工)
