HI盃選手権試合と全三菱庭球大会について

HI盃選手権試合の歴史は、1922(T11)年にまで遡ります。

この年の10月、ロンドンにご外遊中の岩崎彦彌太様から三菱倶楽部庭球部に銀製カップが寄贈され、そのイニシャルを戴き、「H.I.ロンドンカップ」と名付けられました。翌1923(T12)年、このカップを争って第1回H.I.ロンドンカップ戦(男子シングルス)が開催されました。1943(S18)年から戦時の中断を経て、1952(S27)年に復活し、現在は「HI盃選手権試合」の名称となっております。

これに先立ち、関東関西戦は1916(T5)年から始まっておりましたが、同様に「東西対抗試合」の名称となっております。

復活大会の際、新たに「100才トーナメント(現120才)」が加えられ、以降、1972(S47)年に「女子ダブルス選手権試合」、1983(S58)に「130才トーナメント(現140才)」、2006(H18)年に「男子ダブルス選手権試合」、2014(H26)年に「女子シングルス選手権試合」が設けられました。

これらのHI盃選手権試合を中心とした各種目庭球試合の総称が、「全三菱庭球大会」であり、現在では、三菱企業グループ各社のテニスプレーヤーが参加し、各地区の予選も含め、全国的なレベルでますます盛んに繰り広げられています。

第1回H.I.盃の写真

第1回H.I.盃(1923年東京・染井コート)