三井テニスの歴史

MM戦のライバルである三井グループのテニスをご紹介します。

日本のテニスの夜明け時代に、三井の最初のテニスプレーヤーとして活躍されたのが小脇源治郎氏(慶應3年生れ、三井物産)でした。その後に続くプレーヤーを三井家の皆様と松平康邦様(三井不動産)が積極的に支援されました。大正時代には、後にデ杯で活躍される清水善造氏、柏尾誠一郎氏、岡本忠氏、鳥羽貞三郎氏が三井物産に入社しました。大正10年には、三菱の熊谷一彌氏とともに日本初のデ杯に参加し、チャレンジラウンドで米国に惜敗しました。翌大正11年に設立された日本庭球協会の会長には朝吹常吉氏(帝国生命、三越)が就任しました。昭和30年には、宮城淳氏(ゼネラル物産)、加茂公成(三井物産)ペアが全米ダブルス選手権で日本人初の優勝という金字塔を建てました。

このように三井グループは日本のテニス界に貢献し、現在は昭和26年に発足した浜田山ローンテニス倶楽部として活動されています。

三井テニスの歴史(2006年 全三井・全三菱テニス大会50年史より)