優勝カップのエピソード

HIカップ

1922(T11)年10月に、ロンドン留学中の岩崎彦彌太氏が銀製カップを寄贈され、翌1923(T12)年7月に第1回「H.I.ロンドンカップ戦」が挙行されました。

本カップに関しては、復活10周年誌の関沢氏(重工)の寄稿文「回顧」によれば
「彦彌太氏は、(第1回HI盃後の同年9月の)関東大震災で、カップが焼失したらしいとして自らがロンドンでカップを購入された。潜水艦調査で渡英中であった関沢氏の帰国前日に同カップが届けられ、同氏が故国へ持ち帰った。」とあります。
そうであれば、現在のHIカップは2代目のものとなるわけですが、この点については本稿以外での記述を見出すことができず、また当時を知る人も既になきことから、謎となっています。

その後、HIカップは戦時下の金属回収令により1942(S17)年に供出されたと思われていました。1952(S27)年の復活大会にあたり、彦彌太氏は新たにカップを寄贈することになり、石井委員が直ちに銀座の御木本で手配しました。ところが開催の直前になって、復活前HI盃の最後の優勝者である林新緑氏(電機)がカップを保管していることが判明。彦彌太氏の意を受け、新規購入のカップは100才トーナメント(現120才T)の優勝盃となりました。

関東関西戦のカップ

1925(T14)年の第10回関東関西戦において、三菱倶楽部の戸外運動部担当幹事の荘田達弥氏の了解を得て銀製カップが設けられました。これはHIカップが動機で生まれたとあります。このカップは金属回収令により1942(S19)年に供出されました。

HI盃復活大会において、関東関西戦も東西対抗試合となり復活しましたが、カップから優勝旗となり、現在に受け継がれています。

優勝カップ

HI盃選手権試合
(男子シングルス)
女子シングルス
選手権試合

岩崎彦彌太氏寄贈
1922年
岩崎美智子氏(寛彌氏令室)寄贈
2014年
男子ダブルス
選手権試合
女子ダブルス
選手権試合

三菱庭球同好会
2006年

岩崎操子氏(彦彌太氏令室)寄贈
1972年
140才
トーナメント
120才
トーナメント
東西対抗試合
岩崎寛彌氏(彦彌太氏令息)寄贈
1983年
岩崎彦彌太氏寄贈
1952年
三菱庭球同好会
優勝旗1952年

(関東関西戦は1916年開始)